廃車の経験を聞いてみた

過去に「廃車」の経験がある方のお話を集めてみました。

廃車にしようか乗り続けるか限界まで考えた

 

古い車

 

私が車の免許を取り立ての時、親から車の免許だけ取っても車を運転しなければ何もならないと言われ、車を買うか、母が使っているワゴンRを私の練習用にあげるか、家族で相談しました。

 

相談の結果母が使っていたワゴンRの車をもらいました。ですがその車ももう15年使っており、燃費も悪く、外観も多少へこみや傷があり、エンジンも馬力が無いので、もらった時点ですでに廃車に近いような気もしたのですが、運転している時には何も問題は起こらなかったので、そのまま仕事や遊びに行く時に使っていました。

 

ですが私がこの車に乗って初めて車検に出した時、すでにいろんな所にガタがきており、話を聞く限りでは、次の車検の時には廃車にした方が良いのではと思う感じでした。

 

それでも一応運転に問題は無かったのでまだ使っていましたが、車検に出してからいく日が過ぎた後、車を運転していると、ガソリンメーターが上まで吹っ切れていました。最初は家族に誰かも使っているので、その時に誰かガソリンを満タンにしてくれたんだと思っていましたが、いつまで走っても上に吹っ切れたままなので、おかしいと思い、そのままディーラーの所に持って行って、原因を探ってみました。ですがその検査してくれた人も原因が分からないという事なので、治らなければ、ガソリンが無いのか有るのか分からないので、これはもう廃車かなと思いました。

 

廃車にしようと思ったのですが、ある時叩くとガソリンメーターが元に戻る時もあったので、また安心して使う事ができるかなと思ったのですが、ある日乗ってみて、叩いても戻らない事が続き、しかも運転中に大きな石にぶつかりはしなかったのですが、大きな傷を残してしまいました。今まで騙し騙し使ってきましたが限界を感じて、自分の乗っていたワゴンRを廃車にする事にしました

 

。廃車の手続きは親がしてくれたので、自分ではどうなったのかよく分かりません。でも15年以上も乗り続けて、走行距離も20万キロを超えていたので、ここまでよく頑張ってくれたなと思いました。その後は中古の車を買って乗っています。

 

車とお別れするタイミングを見失った結果、、、。

エンジンルーム

 

今まで一緒にどこへでも居てくれた愛車。しかし、いつかはお別れする日がきます。ドライバーはそのことを知りながらも、その別れまで覚悟は出来ているでしょうか。

 

私の車は、力尽き果てました。マツダのデミオで、2000年式で、20万キロを走っていました。マニュアルトランスミッション。マニュアルが好きなのです。

 

廃車への道は次の2つの兆候と1人のマツダの担当者の案内によって導かれました。

 

最初の兆候は、バッテリーがあがったこと。のちのちバッテリーが原因ではないことがわかるののですが、このときは、父親の車と自分の車を配線して、なんとか車を動かしました。

 

次の兆候、ライトがだんだん消えていくこと。夜、レンタルビデオ屋に行くときに、エンジンはかかったのですが、、ライトの灯りがなんとなく弱かった気が。気のせいかと走らせると、ライトが揺らめく感じで消えそうでした。ようやくレンタルビデオ屋につき、駐車場に停めて用をすませて、車のエンジンをつけようとしたら、つきません。

 

そこで、ロードサービスを呼びました。その人曰く、車の発電機、ダイナモが壊れているとのこと。だからバッテリー上がりの応急処置をしても、発電機がだめだから電気を車に供給することができないとのこと。

 

なので、まずロードサービスの人がレッカーで工場に車を持っていき、中古のダイナモを取り付けることになりました。これが2万円だった記憶があります。

 

というようなことを、マツダの担当者に話してしまいました。すると、「ちょうど今、中古でマニュアルの車があるんですよ。しかもデミオなんですね。」と言われました。おっと、口車に乗せられるなよっと自分にいっときながら、、車だけに、、やはり乗せられて、試乗もさせられ、なんとなく、次の車のイメージを植え付けられてしまいました。もう究極な選択な感じになりまして、「今の中古のダイナモを乗せた車だと長くみたら乗れなく日がくる。ならば、やはり今がタイミングか。」そういう考えで、中古のデミオのマニュアルを80万で買いました。

 

前の車をどうするかはもう廃車の選択肢しかありませんでした。それは、古いからです。査定しても価格がつかないと担当者は言いました。

 

担当者はこうも言い、「廃車することはですね、お金がかかるんですよね。しかしですね、私の知り合いのところで廃車にすることができるんですが、これは無料で出来るんですが、どうでしょうか」と。うん、廃車にしよう。思いとどまる余地はありませんでした。

 

廃車は辛いです。できれば中古で売りたいと思うけど、長く乗るほど、愛着という名の傷が尽くし、ボロくなってしまう。またボロくなるところに愛着を持ち、次の車のことを考えなくなってしまいます。

 

そうしているうちに、車と別れるタイミングを見失い、見失った結果、最期が廃車。これは、もう、離婚するか死別するかの決断なのです。

 

15年間乗った車を廃車にしました

 

それは平成11年に日産サニー1500ccを、いつも世話になっている車の修理工場さんより新車を購入しました。その修理工場さんはダイハツの販売代理店をもしておりまして、新車が欲しいとの事を相談したところ好みの車種について意見交換し、日産サニーにきめた訳でした。

 

それまでは主に日産ブルーバードが好きで、中古車を自分で選んで何十年か乗ってきました。

 

さてサニーに決めたのは、長く乗ってきた日産車である事、ブルーバードでも良かったのですが価格面を考慮しサニーに決めました。

 

車に対しては新車、新モデルが発売されれば乗り換える人おおいですが、自分はこの気に入ったサニーを数年毎に変更する気持ちはなくて、まあ長く乗ろうと決めていました。

 

その工場は保険関係の代理店をもていまして、種々相談し好ましい任意保険にも入りました。

 

その後しかるべき時が来ると車検等のチエックをもしてもらい、又何かあると優先的に調整、修理等をしてくれましたし、自分自身もよく洗車し、掃除し良く磨き可能な限り手入れし綺麗に乗りました。

 

やがて車検を数回繰り返しくれば、外観はきれいでも中身的に調整が必要になったり、ある部品の取り換えが必要な事がでてきました。 

 

それでも社長は修理内容によっては、親部品を使わなくてもいい部分は、価格面をよく説明してくれ、又部品を見せてくれたりしながら中古部品を使用してくれました。

 

まあ新車を手当てした事も配慮してくれたと思いますのは、それはそれは特別な配慮でこの車を診てくれていました事大変ありがたく思いました。通常ならば10年間位乗るとそろそろ次の車をと、思うところでしょうが、自分は何となく離したくない思いでおりました。

 

数回の車検重ねると、町中で同車種が少しずつ見受けられるのが、少なくなってきました後、その後数年後サニー名が消えました。振り返ってみれば今度の車検で丁度15年目であり、本当によくぞ長く心いくまで乗り、あり難く思いその車検時に廃車する事を社長に伝え、長い間のお礼を言いました。

 

次のクルマは身内から譲り受けるとして、この廃車車をどうするか、と思いましたが実際自分が動く気になれず、お世話になった修理工場さんでよしなに処分をとお願いを致しました。

 

走行距離は88520kmであったと思います。懐かしい思い出です。